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経営組織論 [A4 一枚のdoc]
田中 求之 先生 2003年2月16日
■ 経営組織論とは何か ? ――人々の集まりを、<一つの組織>としてまとめあげていくのに必要なこと、その難しさや問題点、について考えていくのが経営組織論である ▼ 会社、学校、役所 … 人々の営みは、常に、何らかの組織の形で行われる。人が行うことである限り、そこには組織がある。そして、組織がある限り、そこには多かれ少なかれ、組織をうまく運用していくという問題もまた横たわっている。 ▼ 人間の協働作業 は、経済的側面 ( お金やものの管理運営 ) と統治的側面 ( 人をうまくまとめていく ) という側面とがあり、両方がうまくいかないと、企業は運営できない。ある意味では、モノやカネというものは、企業の活動の結果を示すものに過ぎず、もっと重要なのは、人や集団の活動の側面だとも言えるかもしれない。 ▼ 一人一人の人間には決して悪意がなくとも、それが一つの組織として動き始めたとき、各人の思惑を超えて、悪意を持った振る舞いをすることがある。 組織の難しさは 、各人の意思を超えた所で ( 各人の意思だけでは何ともならないところで ) 物事が起こるということである。一つのシステムとしての振る舞いは、個々の部分の単純総和だけでは推し量れないし、コントロールできるものでもない。 ▼ 具体的にどの ようにすれば組織がうまく機能 するのか、ということ ( 直接的な解答 ) は、個々の具体的な組織によって異なる。 同じ手法がどこでも通じるというほど簡単なものではないことは、野球の監督の例を見ればわかる。 ▼ しかし、どのような組織であれ、それが人間によって作られ、人間の営みとして存在するものである以上、そこには、何らかの共通点があり、 一般的な傾向や問題点が存在するのではないか ? その共通原理を探り、考えていくのが組織論である。 ▼ そして、その組織を考える際に、「如何にすればうまく運用していくことができるか」という観点を中心に据えて考察を行う ( 単なる分類や描写ではないということ ) のが、「経営」組織論なのである。 この場合の経営とは、 マネージメント のことである。 それは支配、制御、管理といった何かを「やらせる」ということではなく、人々が持っている 自然な協働 の能力を、うまく利用する条件を作り維持していく活動である。
■ この講義で論じること― この講義では、人間の組織一般の考察を行う。順番は:
・人間論−人間とは何か、人間をどう考えるか
・ コミュニケーション論−人間のコミュニケーションの特質
・ 協働論−対人関係の原初的な形態の考察
・ 組織論−システムとしての人間組織
・ 管理論−組織の諸特性と管理
厳密な意味での 経営学に相当するのは最後の 管理論 であり、それ以外の部分は 組織の社会学 というべきものであろうが、この社会学の部分の理解なくして、管理論の理解はあり得ない。 ( 協働論、組織論、管理論 )
人間論
■ 人間論の必要性 人間をその対象に含める社会科学は、人間に関して、何らかの仮定 ( 仮説 ) を必要とする。人間の全ての側面を含めた上で理論体系を構築することなどできない ( 大体、それが「全て」だってどうやって分かる ?) 。 ▼ 組織論では、 行為する存在としての人間 、そして 協働する存在としての人間 を対象とする。 その根底には、コミュニケーションという活動を行う存在であるということがある。 私達はどんな存在なのだろうか ? 私達は何でこんなことをするのか ? この素朴とも言える問い掛けが、組織論の根底には ( もっと広く言うならば社会科学の根底に ) 、常に流れているということを忘れてはならない。
■ 人間は狂ったサルである 人間は複雑である。とはいえ、複雑なものを複雑だといっても何の解決にもならない。そこで、我々は、人間は狂ったサルであるという定義から人間を考え始めることにする。 ▼ 狂っているというのは、本能に縛られていない (N: 本能に支配されてない ) ということを意味する。 つまり、本能では決められていないことや、本能に逆らったことまでしてしまうのが人間だということだ。 つまり、少なくとも私達の意識は、本能との間のリンクが切れかかった状態である ( 完全に切れているわけではないし、本能が存在しないと言っているわけではない ) 。 ▼ 人間の意志や行動は、 本能による一義的な決定に縛られていない ( 本能が具体的行動を決定しえない ) ? 意識と本能との間に 恣意性 が存在している。つまり、人間が行うことには、常に「他でもありうる / ありえた」という可能性がはらまれている。 創造性、革新性が生まれるかの性がある。
■ 行為する存在 ---- 人間の受動的側面と能動的側面
? 受動的側面 人間にとって制約を課すもの ( =土台、基本になるもの )( 意思の力ではなんともならないもの ) / 人間を構成している諸要因 ( 要素 ) に拠るものと考えることができる / 物的 ・ 生物的な制約 / 社会 ・ 文化的な制約
? 能動的側面 選択を行い行為していく主体性 ( 人間というシステムのレベルで創発しているもの )/ 意思 / 欲望 / 選択力 ( 意思決定 、判断力 )
▼ この講義における人間の一般的な定義 :人間は、現在および 過去の 物的、生物的、社会的諸力の合成物として存在しながら、意思や欲望によって選択を 行い行為する 主体である ( 制約と意思の二重体 )
▼ 能動 / 受動は、意思 / 身体という対立ではない。 意識の中にも 能動 と 受動 が存在するし、身体にも能動と受動が存在する。 生きるというのは、様々なレベルの能動と受動が相互作用していくプロセスである。 また、意思を持つことが崇高なことなどではない 。 ? 意思なんてものを抱え込んだから、人間は複雑性に巻き込まれたとも言える ▼ 二つの側面は、常に一体となって、人間というものをなしている。 ( この二つ側面は、具体的に生きているという一つのプロセスになっている、相互作用があり、絡まりあっている。 ( 自分の認識 )
■- 行為と結果 ▼ ・ 動機によって、目的の実現のために、行為する
・ 心理的諸要因の合成としての動機
・ 動機が必ずしも意識化されるわけでもないし、言語化可能なわけでもない
・世界は複雑である ? だから、行為は常に 思わざる結果 ( 求めざる結果 ) を伴う
・自分たちが生きていくのに必要な「世界」であっても、 " 全て " を認識したり計算することはできない。 この意味で、 世界は常に予測不可能性、不確実性が存在している と言える。
・行為自体が、常に、他でもあり得たのにという可能性を伴うし、そもそも選択として現われてくる
・ 複雑な連関の一部しか「結果」として意識されない
・全ての「結果」を認識できるわけではない
行為の意味 ( 評価 ) は 2 つの側面から成される―― 有効性と能率
有効性:目的の達成度 | 能率:行為の満足度 両者は必ずしも連関しない
コミュニケーション論
■ テーゼ ▼ コミュニケーションは伝達ではない。 人と人との間で起きる出来事である。 ? 個々人の意志ではどうしようもない、外在性 ( 社会性 ) を孕んでいる。
■ コミュニケーションは伝達ではない
伝送 ( 伝達 ) モデル : AからBへと、意志が、媒体を通じて、送り届けられる ( 伝えられる ) ▼ 神の視点で理解しない限り、伝達の成否を確認することはできない。 ( 伝達モデルで人間のコミュニケーションを理解するには、神の視点が必要になる。 ) 人間の互いの意志が等質であることや、変換コード ( 概念−媒体 ) の完全な共有が前提となる等々、理論的な前提条件がかなり必要になる。 意識は他人に対は絶対に分からない e また、現実のコミュニケーションの体験のことを考えて見れば分かるように、 「伝わったかどうか」はその後のコミュニケーション ( 相手から何かの反応が返ってきて ) のなきでしか推定できない。 ▼ テレビやラジオの放送のモデル ( 伝送 ) を、人間のコミュニケーションとして理解してはならない。 ▼ そもそも、人間のコミュニケーションにおいて、「何か」が伝わっていると考えること自体が正しいのか ? 少なくとも、コミュニケーションが起きているその瞬間においては、「何か」を同定すること自体が問題になっているのではないか。 ▼ 私達の毎日の生活には、伝送モデルでは 理解できない ような、コミュニケーションの体験が起きている : ?? その気がない何気ないしぐさが相手からの思わぬリアクションを生んでしまうこと . ?? 何が伝わっているのか改めて考えると不思議があるコミュニケーション ( 文化、社会、考えの違い / 勝手に始まる / 意味なし )
■ コミュニケーションを考える出発点
▼ 人間の 意識 ( 心理 ) は、互いに不透明であり 、 コミュニケーションという手段 ( 間接的な手段 ) によってしかアクセスできない ( 以外の手段がない ) 。
▼ 身体の上に創発している一つのシステム=プロセス ( 身体には還元できない特性 / 特異性を持つ ) ▼ 言語は、 恣意性をはらんでいる 。 また、外在性も孕んでいる。 ( 言語は本能とはつながってない、即ち身体の基礎ではない ) 外在的なものではあるが、拘束性を持つ ( 個人の意志では変えられない / 自由にできない )
■ コミュニケーションとは何か
▼ 間で起きる出来事である ==> 複数の人間の選択 ( 違いを感じ取ること / 生み出すこと ) が連鎖したもの
▼ コミュニケーションとは 、常に、人と人との 間で起こるできごと なのである。どちらかの側の心に回収したりできない出来事であるという点において、「社会性」を帯びたものである。 ▼ 情報 ( 意味 ) 、表現行為 ( 発話、意図 ) 、理解 ( 受容 , 反応 ) の3極からなるプロセスとして考える必要がある。 ==> このプロセスを展開させているのが差異である
▼ 違いが見いだせるとき ( 理解されるとき ) 、コミュニケーションが 作動する 。
▼ 違い=ありそうもなさ、不自然さ、偶然とは思えない
▼ 不自然さ=作為 ? その発信主体が何らかの形で想定され、その主体による意志が想定されることになる ▼ 受け手 ( と後になって位置づけられるのだが ) が、「何かが」、普通ではあり得ないこととして在る / 起きていると感じられた瞬間、コミュニケーションが作動する e その「普通ではないこと=違い」に反応して振舞う。その意味で、コミュニケーションは、受け手から「始まる」ものである ( 送り手の行為は「呼びかけ」でしかない ) 。 ▼ そこで起きた出来事が、「誰か」の「行為」として了解される。 ▼ 自分の振る舞いが、自分の思いもしなかったようなコミュニケーションを作動させてしまう 。 ( 違いが充たされる時、コミュニケーションは作動する。 ) ▼ 意思の伝達という観点からコミュニケーションを捉える限り、コミュニケーションは困難なものに見えてくる。しかし、コミュニケーションは間で起きる出来事だとして見れば、コミュニケーションは、思いもかけなかった形で、いとも簡単に起きている ( 作動する ) 。
■ 「伝わる」ではなく「つながる」
情報と表現行為の差異がみいだされることが、起因となる。 ▼ 何かが起きたとき / あったとき、それが自然なもの / ことなのではなく、誰かの意志によって表現されたものであると受容すること ( 理解 ) ▼ その時点で、なぜ他でもないその情報なのかという情報の差異と、なぜ他でもないその形での表現されるのかという表現行為の差異とを、感知し了解する必要がある ( 相手の選択の了解 ) ( 我?有必要感知和理解在?个?候,?什?是?个信息而不是其他的信息,?什?是以??形式而非?外的形式,即有必要了解表?形式的差? ) ▼ それを受けて、自分はどう行動するのか ( どう接続していくのか ) という選択 ( =違いを生み出すこと ) を行うことになる。ただし、実際には、 上記のようなことが一つの出来事として起きる 。伝わることではなく、コミュニケーションが接続することが重要
■ コミュニケーションの理解 我々は、コミュニケーションという出来事を、行為者の発言という形で整理し、理解している。 ▼ コミュニケーションの進行自体が、この整理 / 記録を強要する。 e 過去のコミュニケーションが、誰かの何かとして参照可能になることによって、コミュニケーション自体をコミュニケーションするといった 参照可能性 や 継続性 が生じる。 ▼ 人格とは 、コミュニケーションを行為として帰属させるもの ( 帰属点 ) である。帰属先は、通常は、一つの身体であるが ( 身体というモノは、他と同じではありえないという特異性をもつ ) 、帰納的には、他との区別がつけばよいわけで、最終的には、一つの「名」であればよい。 ▼ ある一つの人格の行為として、あとから参照可能になること、 " それ " として指示できる差異性を指示可能であること、観察可能になること。
この段階で、伝送モデルへと落とし込むことは可能になっている。つまり、コミュニケーションが進行していくことによって、事後的に、人格と発言として、「描かれていく」のだ。
■ かけがえのなさ ( 掛替えの無さ ) と継続
常に過去にさかのぼって ( 遡って ) 参照 ( 言及 ) することは可能だが、取り消すことはできない e かけがえのなさ ▼ 取り消すことはできないが、参照し、意味や位置づけ ( 差異の解釈 ) をコミュニケーションのテーマとすることによって、乗り越えていくことはできる ( コミュニケーションの自己参照可能性がこれを可能にする ) 。コミュニケーションを続けようとする態度を捨てないこと ( 『なぜ』という問いかけに答えようとすること ) e 責任 (responsibility)
コミュニケーションの継続が、ある種の倫理的 ? 要請になる。
■ 制度的安定化 ▼ 根本的な不安定さを孕んでいる ( 少なくとも、伝送という観点でみれば ) ▼ 経営組織論は、言ってしまえば、コミュニケーションの根本に潜むダイナミズムを理解したい ( 組織論 ) 、そして手なずけたい ( 管理論 ) 、そういうものである。 ▼ 二人以上の人間がコミュニケートするとき、必ず、そこに発生する「社会的なもの」 。 それは組織の本質だと言ってもよいが、それは、コミュニケーションが根本的に孕む外在性にほかならない。 ▼ とはいえ、現実において、コミュニケーションの場面で、無限の可能性に直面するようなことになれば、コミュニケーションなどやっていられなくなる。 ▼ 日々のつつがなく進行するかのように感じられるコミュニケーション ( 伝送モデルで了解できるもの ) を可能にしている装置が「普通」であり「世間」である。 ▼ 「普通」をあてにして、「皆」の一人として振る舞うことで、相手もまた、「当然」の返答をなすのが「普通」だと思うことで、心安らかにコミュニケーションが行えている。しかし、それは他者に対して耳を塞ぐ ( 他者を切り捨て排除する ) ことでもある。 ▼ そのことは、同時に、本人の意思とは関係なく、一定の振る舞いが、ある行為として相手 ( 周囲 ) に受け取られ、その相手の理解を元に事態が進行していくということでもある。 ▼ 社会システムは、個々人の思惑をこえて、何の行為が遂行されたのかを決定してしまう力を持っている
協働論
■ 協働 ( 合作 ) の存在理由 個人には目的があるということ、および個人には制約があるということ、このことより、目的を達成し制約を克服するために協働が生じる ▼ 個々の人間は限られた選択力を持っている。 同時に彼は全体状況の諸要因の合成物であるとともに、それらの要因によって強く制約される。彼は動機を持ち、目的を立てて、それを成し遂げようとする。その場合の方法は、全体状況の中で特定の一要因もしくは一組の要因を選び、それに働きかけることによって情況を変えることである。 」 ▼ やりたいことを一人ではできないから、皆でやる . ▼ 存在理由 1: 個人にとっての制約を克服する手段として存在理由を持つ | 存在理由 2: 個人でやれないことを協働ならばやれる場合にのみ協働の理由がある ■ 協働における目的 目的が分化 (2 重化 ) する e
協働の目的と、個人の目的とは異なる ▼ 協働によって行う目的 ( 協働的目的 ) と、協働に参加する目的 ( 個人的目的 ) の分離 || 個人的目的からすれば、協働の目的は間接的目的になる ▼ 両者が一致する必要はない ▼ 媒介過程の必要性が生じる e 個人的目的は、協働行為の中に媒介的な過程が入ってこなければ、協働行為によって満たされるものではない ▼ 協働的努力体系の一部を構成する個人的努力と全体の協働的産物もしくはその分配部分との間には、如何なる直接の因果関係もないし、またありうるものでもない。 ▼ 貨幣という分配手段の利点 ■ 協働における行為 ▼ 行為はコミュニケーションになる ( 行為の二重化 ) e 行為が常に他者 ( 仲間 ) に対する自己表現を成すようになる e 役割と本人という分岐が起きる ( 組織人格と個人人格 ) ▼ 協働している他者に対して、その場や関係をどう捉えているのかを「伝えて」しまう ( ただし、自分の行為の意味は、最終的には他者が確定する ) 。 ▼ 相互作用=コミュニケーション を避けることができない協働は、常に社会的作用 ( 心理的作用 ) を生み出す e ( 社会性=外在性 )
■ 協働固有の行為 協働でしか見られない行為が生じる * 協働の 促進 を目指す行為 * 協働の 維持 を目指す行為 ▼ これらが 管理 行為の基盤 e マネジメントの本質=協働的努力の仕組みの形成と維持 ( 人々の自然な協働の能力をうまく利用すること ) 協働においては、間接的に目的達成を支える行為が生じ必要となる 。
▼ かならず、人間に働き掛けるしかない ( 協働あるいは行為そのものを操作することはできない ) 。 ■ 協働行為の評価 ▼ 協働の永続性は、 協働の有効性 と 能率 という二つの条件に依存する ▼ 有効性 :協働の観点から見た、 協働目的の達成度。それは全体という観点 || 能率: 各個人の満足度 e 協働の観点からは、各人を満足させられたかどうかという問題になる。 それは個人という観点。しかし、満足を図ることは難しい、現実には、協働が続いていてことは満足していると考える。 ▼ 協働の能率は、協働が獲得 / 生産するものに依存するとともに、分配 ( 変換 ) 過程に依存する。 全体の成果を基に、各人の個人目的を満たすような再分配の仕組みが能率を満たすためには必要。分配 ( 見返り ) は物質的である必要は無い ▼ 社会的満足という見返りを生み出せる
組織論
■ 組織の本質は何か ?
▼ 何が集団と組織を隔てるのか ? e 単なる人の集まりは組織ではない ▼ そこで相互行為が行われること e 行為 ( 活動 ) なくして組織なし ▼ 振る舞いが、意図の表出であり、表現として受け取られるということ ▼ 物的、人的要因を含めたシステムを協働システムと呼ぶ 人の誰かという側面ではなく、何をするか ( 行為 ) ことが重要 ▼ あらゆる協働システムに共通する側面を「組織」と呼ぶ ▼ 組織とは、意識的に調整された人間の活動や諸力のシステム e 根本的には行為の連鎖 ▼ ただし、「行為」はあくまでもシステム=組織によって規定される ▼ 「組織」の本質=二人以上の人々の意識的に調整された人間の行為のシステム ( 人の集まりとまとまり ) ▼ 組織の定義に人間は含まれない e 人が交代しても「同じ組織」は成立する。 e 組織は、個々人にとって、外在的である
▼ 人間なくして組織は成立しないが、組織に人間は含まれない。 e 組織は、人々の 行為 によって創発するシステムである
■ 組織の成立条件 ▼ 組織を人為的に構築し維持するために必要となる条件 ( 組織が成立するような枠組みの条件 ) を、組織の成立条件 ( 存立条件 ) として考える。 成立の3条件:コミュニケーション、貢献意欲、共通目的 e 相互に意思を伝達できる人々がおり、それらの人々は行為を貢献しようという意欲を持って、共通目的の達成を目指すときに、組織は成立する 貢献意欲 ( 消極的な意欲もありうる、例え強制、 奴隶 で ) ▼ 貢献意欲の 2 条件 ● 組織が与えるもの ( 誘因、見返り ) と自分の犠牲とを考え、得るものがあること ● その組織が、他の組織よりも誘因が大きいこと . 貢献は誘因と引き換えに得られる 目的 ( 目的の容認=協働意欲 ) 共通目的の理解に注意すべきのは1、大きな食い違いがないことが必要2、理解できるものである ▼ 客観的な目的 =組織の決められた目的であると信じ込まれている目的 e 調整やコミュニケーション、行為の共通基盤となりうることが大切 ▼ 組織目的と個人動機は異なる ▼ 目的の 2 つの意味 ?? 組織の外部に対しては、組織の存在意義を示し、環境と組織の適合をはかるもの ? 組織の「表現」 ?? 組織の内部に対しては、組織の境界 ( 仕事の範囲 ) 、命令の正当性の範囲、動機づけの基礎となる ? 組織の「基盤」
コミュニケーション ▼ つながろうという意欲=貢献意欲、まとまり=共通目的、それをまとめあげて「 つながりを持ったまとまり 」として現実化するのがコミュニケーション ▼ 組織の構造、広さ、範囲はコミュニケーションの技術によって決定されるから、組織の理論を突き詰めると、コミュニケーションが中心的地位を占める ▼ 組織の構造を決めるのはコミュニケーションの技術である
■ 組織が行為のシステムである ▼ ある振る舞いは、システムによって、一定の行為として意味付けられる = システムの要素になる ( 人の振舞 / 動作は様々な側面がある、それが他者 / 受け手によって、ある一つの行為として、認められていく。 ) 振る舞い ≠ 行為 色々な振舞いが一つながりの行為の連鎖として捉えられる=システム ( 組織 ) がある ▼ 行為が集まって組織を作るのではない。ある振るまいが行為と認定されることと、そこにシステムが存在 ( 成立 ) することは、同じ出来事なのである。 例ば: 車で大学に来ること ? 授業を受けに来る ? 大気を汚染する ( 環境を破壊する )? ガソリンを消費し資源を減らす / 税金を納める ? 車を摩耗させ消費する これが「授業を受けに大学に行く」という行為として意味付けられ / 受け取られ、他の側面は不問にされる ? 大学という組織=システム ▼ 共通目的の観点から 、振る舞いが行為として意味付けられ、その行為が他の人々の振る舞いを引きだす ( その振る舞いは、やはりシステムによって行為として認められる ) 例:「学生が講義室に来る」 ? 「私は授業を行う」 ? 大学という組織では「若者が環境破壊をしたので、私は声を出すことでストレスを発散した」にはならない ▼ ( 具体的な ) 行為はシステムによって規定される。システムによって行為と受容された / 規定されたものが、システムを構成する。と同時に、その行為の担い手 ( 主体 ) も確定され、行為の帰属先となる。 ▼ 一つの振る舞いが同時に複数のシステムに帰属することがあり、その結果も多様である ▼ 一つの視点から様々な振舞いを行為の連鎖にしたてていくものとしてシステムがある。 ▼ 規定=受容の基準として働くのが共通目的 ▼ 共通目的は、行動期待 ( 振る舞いの行為としての意味付けられかた ) でもある ▼ 全ての振る舞いが、組織を構成する行為になるのではない ▼ 行為のシステムであって、人間のシステムではない ▼ システムは、具体的な振る舞いのレベルにおいてではなく、行為 ( 行為期待 ) のレベルで構築される ▼ 振る舞いは、行為として確定されたとき、特定の誰かの行為者の行為として帰属される ( 了解 / 受容 ) ▼ 人間がいなければ組織は成立しないが、組織は人間によってでき上がっているものではない ( 創発しているものである ) ▼ 人間に働きかけ、人間のコミュニケーションに介入することによって、組織をマネジメントすることができる ( 行為そのものをかき集めて組織を作ることはできない )
■ 組織の存続 組織の有効性 ( 共通目的を達成度 ) ▼ 有効性は技術的過程 ▼ 組織は、目的を達成できない場合には崩壊するが、目的を達成することで自ら崩壊する ▼ 継続的組織は、新しい目的を繰り返し採用する 組織の能率 ( 各人の満足 ) ▼ 協働システムに必要な個人的貢献の確保 ▼ 組織の能率とは、システムの均衡を維持するに足るだけの有効な誘因を提供する能力 e 能率を見る観点が協働、個人の場合とは異なる ▼ 非経済的誘引が基本的な能率には不可欠
Last update: 12/11/2004 6:07
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